カマタ歯科クリニック
月刊 はがいーぜ通信 voI.17

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平成17年8月号


テレビ携帯電話について


 最近の携帯電話はすごいです。
先日ドコモの社員の方が来院され、その時たまたま彼女が持っていたテレビ付き携帯をみせてもらいました。
画像は鮮明です。
ただ、こまうちのようで少しみづらいですが、充分実用に耐えうると感じました。


というのも、抜歯やインプラントや切開などの大きな手術のあと、帰宅されてから患者様の様子をうかがうのですが、電話だけでは隔靴掻痒(かっかそうよう・足の裏がかゆくても靴の上からかく感じ)の面があったのですが、テレビ電話をつかうと直接判断できるので、患者さんにとっても私にとってもとてもメリットが大きいのです。
直接相手の顔や口の中をみながら診断できるので、とても重宝しています
特に抜歯後の出血がどの程度なのか、人によって表現がまちまちなので、すぐに来院していただいてよいのか、判断がつきにくかったのですが、このテレビ電話でみれば即座に判断できて非常に便利です。
また、患者様の安心感という点でも満足を得られるのではないでしょうか。
これから少しずつ活用していこうと思っています。





季節を感じるちょっとイイ話


 7月半ば、川内町にある国保連合会へいつものように書類の提出に車ででかけました。

途中、道の両脇に広がるレンコン畑には緑の大きな葉っぱが一面に。
所々 ピンクや白い蓮の花が咲いています。
凛とした美しい花に目を奪われ、少し車を止めて眺めていると小雨が降り始め、レンコンの葉に雨粒がたまっていきます。
その重みに耐えかね葉がユラユラゆれて、雨水のかたまりがきらきら揺れながら葉からこぼれ落ちていきます。

なんて素敵な光景でしょう。
久々の感動でした。
(雨降りのレンコン畑での一コマ、つたない私の言葉でこの感動!伝わりましたか?)

                                                         高橋


院長のラーメン紀行

●今月は、患者様の佐々木様からの情報を掲載します。

あらゆるラーメンを食べ歩いている私。
最近美味しかったのは、沖ノ州のケーズ電器店手前の「久留米」というラーメン店です。
道沿いのわかりやすい場所にあり、目立つのですぐわかると思いますよ。
味はとんこつラーメンでなかなかいけます。

たしか餃子もあったような・・・
食べてないのでさだかではありませんが、ラーメンは今のイチオシですね。
ぜひどうぞ。


追伸、以前歯がいーぜ通信に掲載されておりました、日本一低い山の近くのラーメン店にも行ってきました。
さすが掲載されるだけあって、ここもなかなか美味しかったですよ。

いろいろ情報があると、本当に楽しいですね。
今度は、徳島駅前周辺にどこか美味しい店がないか、食べ歩いてみようと思っています。
オススメがありましたら、ぜひおしえて下さい。

佐々木様、情報提供をありがとうございました。


DH佐藤のうんちく

 今年も徳島が一年で最も活気的になる阿波踊りの時期がやってまいりました。
阿波踊りは江戸時代、阿波藩主、蜂須賀家正公が徳島城築城記念の宴を催した時に踊られたのが始まりといわれています。
しかし、実際はその起源はさらにさかのぼり室町時代の京都で流行していた風流に影響を受けていると考えられています。

はじめは盆踊りであったものが、やがて『阿波踊り』として確立していったそうです。

 
現在の阿波踊りは踊る場所がだいたい決まっていますが私の小さい頃は家の外に出ると鳴り物が聞こえ、そこだけに限らず道路でも踊っていたように思います。
まあ、今と交通事情も違っていますが。

私も小学生の頃は父の勤務先の連から自前の浴衣を着て踊っていました。
そして、休憩所ではジュースや軽食をだしていただき、それもまた楽しみでした。


♪踊る阿呆に見る阿呆同じアホなら踊らにゃソンソン♪

と言いますが、皆さんはどちらでしょうか?

連で踊るもよし、気軽に誰でも踊れるにわか連で踊るも良し。
ストレス発散、ダイエットにいいかも・・・
ちなみに、当院前の道路は踊り広場無料のの椅子があり変わった踊りがご覧になれますので夕涼みがてらにいかがでしょうか?


患者様情報

 山口様より徳島ラーメンのルーツが記された本がある!との情報をGET!!

その名も「徳島地域文化研究」第2という少し固い題名の本ですが、他には地域の祭りや伝統などについての調査報告や研究論文、資料や文献などが掲載されております。
全部は紹介出来ませんが、簡単にルーツを説明してみましょう。


 徳島ラーメンという名前が浸透したのは、1998年横浜市にできた「新横浜ラーメン博物館」が独自の調査で徳島のラーメンが全国的にも珍しいものであることを発見し、広まった。
戦前よりラーメン=中華そば=シナそばという名で存在はしていたが、世に広く食されてはいなかった。
昭和7年、中国人の将(しょう)という人が徳島市の大道あたりで屋台をひいていたという目撃談がある。
昭和10年代の徳島市には、中国人や日本人による複数の中華そばの屋台や店舗が存在していた。
また、三好郡や小松島市にも存在していたらしい。(当時三好郡には国鉄土讃線の工事に中国人が来ていた。)


 おもに徳島のラーメンは、スープの色が「白・黒・黄」に分かれ、徳島ラーメンと称されるものの特長は、スープは豚骨ベースに醤油を加え色は黒、麺は短め、チャーシューのかわりに濃厚な味付けで煮込んだバラ肉と生卵を採用していることである。

 
世に広まったのは、戦後の小松島市の屋台である。
この頃は関西との往来は小松島からの客船であったためにぎわっていた。
スープは白濁豚骨でなぜそれが主流になったかというと、日本ハムの前身である徳島ハムの工場が徳島にあり、大量の豚骨や豚ガラが安価で供給されたためである。
小松島へも自転車で運んでいたという。


 現在の主流である「黒」のスタイルが発生したのは、昭和30年代の末ごろで、「いのたに」と「広東」がほぼ同時期に始めたらしいが、「肉」「卵」についてもこの両店がはじめて人気を呼んだ。
最近では、「白」のラーメン店でもこのスタイルを取り入れている店があるが、小松島市の名店にも昭和40年代に入り、徳島市内などで覚えてきたらしい客からの要望で、生卵入りをメニューに加えたそうである。        以上


 その他、本には当時の名店名屋台についての詳細が掲載されており、特に現在のカマタ歯科クリニック周辺についても人々の記憶によって再現されており、あたかもタイムスリップしたかのような錯覚をおこしそうになります。
大正から昭和にかけて西洋料理や中華料理が少しずつ普及しはじめ、またラーメン屋台が始まり人々の心をとりこにしたことでしょう。
ですが、ひとつ残念なことは、将さんをはじめせっかく徳島にやってきた中国人たちですが、盧溝橋事件や日中戦争によりほとんどの人が本国に帰国してしまったという悲しい事実があります。
食の文化が戦争によりたたれてしまうなんて、本当に残念だったことでしょう。
ただし、徳島県人によりシナそばは今も脈々と受け継がれており、徳島ラーメンとなり全国に普及したことはうれしいかぎりです。


最後に、本を提供して下さいました山口様に、お礼を申しあげます。
ありがとうございました。たかがラーメン一杯、されどラーメン一杯!歴史があります。


☆編集後記☆ (春本)

 この暑い夏を皆様どのようにお過ごしでしょうか。
こんなに暑いのなら、いっそ暑さを楽しもう!?と私は海水浴や川遊び・花火と食事はそうめんに夏野菜・おやつはカキ氷にすいか、部屋には金魚、軒先には風鈴などなど、真夏ならではの風物を楽しんでいます。
蚊取り線香の香りと鳩やせみの声、風にのって聞こえてくる夏祭りの雑踏やよしこののリズム・・・う〜ん、夏ですねぇ。

阿波の夏本番がやってきました。


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